イサク・ディーネセンの名でも知られるデンマークの閨秀作家カーレン・ブリクセンに「真珠」(1942年)と題する短編がある(渡辺洋美訳『冬物語』筑摩書房1995年 所収)。
美しい六月のある日、コペンハーゲンの裕福な羊毛商の娘イエンシーネは近衛隊士官アレクサンダーと聖母教会で婚礼を挙げ、新婚旅行にノルウェーに出かける。
婚礼の日、イエンシーネはアレクサンダーから真珠の首飾りを贈られた。それは彼の祖母の遺品で、孫の未来の花嫁のために残してくれたものだ。首飾りを手にして、会うことの出来なかったその老婦人にイエンシーネは親しみを感じる。
夏至のころの美しいノルウェーの景色を満喫して帰国の前日、朝食の席で首飾りの糸が切れて真珠が床に飛び散った。拾い集めながら夫に個数を尋ねると52という答え。祖母の金婚式に贈られて、その後も誕生日ごとに真珠を一個ずつ追加したという。それぞれの一粒ずつは彼女が生きた年にあたる、と彼は説明した。
宿のおかみの勧めで靴屋の老人のところに真珠を持ち込んで修理を依頼する。以前、同じように糸の切れた英国婦人の首飾りを直した経験があるという老人に、イエンシーネは数を確かめて真珠を託した。
翌日、糸を通されて首飾りは手元に戻った。だが、真珠の数をごまかされているかも知れないと感じ、彼女は国に帰ってもあえてその数を確認しようとしない。あるとき、思い切って数えてみると53個。逆に一個増えていた。懇意の金細工師に見せると、真ん中の大きな真珠は価値が高く、その一個だけで他のものを全部あわせたのと同じ値打ちがあるという。
なぜ、こんなことになったのか。イエンシーネは真相を知りたくて、あの靴屋の老人に手紙を書く。しばらくして届いた返事には、以前、英国婦人の首飾りを修理したときに付け忘れた真珠が手元にあったので、自分の悪戯心で付け加えた、とあり、永く首飾りを身につけてほしいと結ばれていた。正直を旨とする両親のもとで育ったイエンシーネは、これは盗んだのと同じではないかと恐ろしくなり動揺するが、しだいに落ち着きを取り戻す。そして、こういう逸話を加えて、首飾りを次の世代に伝えることの大事さに思い至る。ちょうど、アレクサンダーの祖母に対して自分自身が感じたような親しみを、見知らぬ未来の花嫁が抱いてくれることを想像して、イエンシーネは幸せな気分になった。
訳者の解説によれば作者の意図は夫の貴族精神と妻の商人精神との葛藤を描くことにあって、実際、新婚旅行中のアレクサンダーの考え方や振る舞いに対するイエンシーネの戸惑いが独白のかたちで綴られている。だが、イエンシーネの意識の変化が軸となって展開するストーリーの中で、一族の歴史を具体的なかたちで示すものとして受け継がれる真珠の首飾りはまことにふさわしく、その存在感が深く印象に残る。
女の子に誕生日のプレゼントとして毎年真珠を1~2粒ずつ贈り、成人する時に最初のネックレスを作る習慣は20世紀初めのアメリカで盛んに行われたという。小説の冒頭には「八十年ほど前の事」とあるので西欧ではさらに前の時代に遡るようだ。金婚式のあとに新たに年の数を追加するのは、創作かあるいはデンマークの習俗なのだろうか。長寿を祝う気持ちを読み取ることもできよう。
新玉の年、という。年が改まるこの時期に新たな希望を託して一粒の真珠を求め、思い思いの装身具として身に着けるなら、それは真珠に備わった護符、吉祥の象徴という特性を最大に生かすことになるだろう。どうぞ良いお年を。そしてお年玉には真珠を。
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