1947年のメキシコ映画『真珠』を見た。監督以下、出演男女優他スタッフすべてがメキシコ人によって制作された最初の映画作品で、シナリオ制作は原作者ジョン・スタインベック自身が担当している。その小説『真珠』は早くから角川文庫に入っていて、手軽に読むことができるが、映画は今年(2019年)にDVD化された。待つこと久し。
舞台はカリフォルニア湾。主人公はメキシコ・インディアンの漁夫キーノとその妻ファナ。幼いコヨティートと三人で貧しいがつつましく穏やかな日々を送っている。ある朝、コヨティートがサソリに刺された。急いで医者を訪ねるが、金がないため診察拒否されてしまう。キーノはカヌーで海に出て潜り、真珠貝を採取、「海鷗の卵ほどもある」大きな真珠を手にすることになった。それを知った医者は態度を一変させるが、子供はファナの民間療法で治癒、キーノはこの真珠を売って、親子三人で楽な暮らしをしようと夢を見る。
その一方で、姿を見せない敵がこの真珠によってもたらされる未来を奪い取ろうと待ち構えていることを感知して、キーノは自分の一家を守るために戦う決意を固めた。けれども彼らの神は「人間の計画を好まず、己自身の努力で成功するなら復讐を下す」存在なのである。夫以上に神を恐れる妻のファナは直感的にこの巨大な真珠に不吉の影を見て、早々に手放そうという。だが、キーノはもう後戻りができなかった。50,000ペソの目論見で真珠商人と交渉に臨む。
果たして、その席で商人たちが大きな真珠に付けた最初の値段は1,000ペソだった。キーノは納得せず、交渉は決裂。だが、真珠を手に入れようとする商人は様々な妨害を企て、キーノは相手のひとりを誤って殺害、追われる身となった。それから三人の逃亡が始まり、夜を日に継いで道なき道をさまよった挙句、追手の流れ弾を受けて最愛の子供を失うことになる。
さて、G.F.KunzのThe Book of the Pearlによれば、1884年、カリフォルニア湾のある海域で372グレイン(約24グラム。20㍉以上30㍉未満といったところか)の真珠が採れ、漁民は商人に1,000ペソを要求したが、結局180ペソで売り渡した。真珠は評判となって値段は上昇、最終的にラパスの商人が10,000ペソで買い取ったという。同書には他にもこのような例が紹介されており、スタインベックは目を通したのかもしれない。
真珠は人の手を経て評価が高くなってゆく。それを思うとキーノが最初から50,000ペソを要求したことが、そもそも真珠流通の原則に反するものだったといえる。浜値でその価格なら最終的にはいったいいくらになることだろう。キーノに示された商人の最初の評価は1,000ペソだったが、実際に漁民が180ペソで手放した372グレインの真珠が10,000ペソ、つまり、おおよそ50倍になったことを考えると、キーノの真珠は50,000ペソとなり、計算はあう。
大きな真珠を吉とみるかそれとも不吉とみるか。日常の平穏を大切に思う心情からすれば、その出現は異常事態であって、そこに人智を超えた存在の、なんらかの意思を認めたくなるだろう。メキシコ・インディアンの呪術的世界に生きていればなおさらだ。だが、キーノは判断を誤り、復讐する神様の仕掛けた罠に落ちてしまった。最後に真珠はキーノの手で海に戻されるが、この場面はぜひ小説で味わっていただきたい。
よほど上手く人の手を経ないと真珠は宝石になることができない。一番運が悪かったのは当の真珠ではないか。
Comments