御木本幸吉の伝記については本欄の107「阿波幸異聞」で取り上げたことがあった。もう削除されてしまったので、かいつまんで言うと、知る限りで一番古いのは明治41年の『天才乎人才乎 現代実業家月旦』。幸吉の活躍を紹介した初期の本だが、その内容は今日知りうる話とはずいぶん違う。たとえば、幸吉は漁夫の家に生まれ、年少にして魚の行商を行い、その後にうどん屋を開業したということになっている。本人活動中の本なのにどうしてこうなったのか。きちんと取材をしていなかったことがバレバレだ。その後の伝記についても大同小異で、うどん屋が蕎麦屋だったり、裕福な商家の若旦那だったりと、いい加減な記述が目立つ。イギリスの測量船シルヴィア号相手に商売をした件でも、ロシアの軍艦シベリア艦が黒鷲の旗をなびかせながら鳥羽港に停泊したことになっている本もあって、時代的に古い方が記述も正確かといえば、どうもそうとも言えない、と結んだ。
博物館の活動ニュース第3号(平成9年)に当時の学芸員が幸吉関連図書の一覧をまとめた記事を載せている。大正6年の『発明家物語』から平成5年の『真珠王ものがたり』(伊勢志摩編集室)までを取り上げ、主な図書の概要を紹介した報告で、読書案内として役立つ。リストを見ると昭和20年代から40年代に一般読者、あるいは児童向けの伝記が数多く出版されたことがわかる。代表作として挙げられるのは今も引用される機会の多い永井龍男『幸吉八方ころがし』(昭和38年)だろうか。
短編小説の名手とうたわれた著者が昭和37年から読売新聞紙面に連載した評伝で、挿絵は風間完が担当した。新聞連載当時は「近世名勝負物語第33話」と肩書があった。これは村松梢風が昭和27年から連載を開始、武道、囲碁、将棋、文壇、学術、金融などの各分野で活躍した人物のドラマとして人気があったシリーズだ。村松梢風は昭和36年に亡くなっているので、その後を引き継いだということか。表題の「八方ころがし」は四方八方どの方向にも転がってゆく真珠の様子を言い表した言葉で、形状の最高評価といえる。完結後の昭和38年に筑摩書房から単行本として出版、文春文庫の一冊となったのは昭和61年で、解説は城山三郎が執筆している。いずれも絶版だが単行本、文庫本ともに古書で流通しており、1000円内外で入手可能。
永井龍男が執筆したその頃は、まだ幸吉と同年代を過ごした人々が健在で、数々の証言が収められている。その点からも貴重な図書だが、どこまでがリアルでどこからがフィクションか、今では判別がつかない。昭和55年には源氏鶏太が『真珠誕生』を書き下ろし、平成5年の伊勢志摩編集室の『真珠王ものがたり』が幸吉伝記の最新刊となる。
その後も幸吉に関連する書籍は出版されてきたが、表題に「御木本幸吉」をうたった例は児童向けに僅か一冊。多くは起業家あるいは企業家のひとりとして列伝に名前を連ねることとなった。最近では96歳まで現役を保ったことから、晩年の過ごし方にスポットを当てた本もある。
以下にそのリストを掲げる。
こうしてタイトルを眺めるだけでも、御木本幸吉の立ち位置が変化してきたことが窺える。4年後の2028年は生誕170年の節目の年を迎えることになる。今日に続く真珠産業の創始者としての業績、そして事業を展開する上で自然環境との共生を第一に考えた幸吉の先進性を記す『定本伝記』を準備する時期に来ているようだ。
松月清郎
2024年10月16日
写真① 永井龍男『幸吉八方ころがし』
② 源氏鶏太『真珠誕生』
③ 伊勢志摩編集室『真珠王ものがたり』
④ 博物館内図書コーナー
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