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昭和追憶 館長ブログ153

 本年度の企画展は「昭和追憶」と題して短編映画を特集してみた。収蔵庫に残る16㍉フィルムから編集した「発明家十人会の集い」、「真珠供養祭」「黒真珠」(パラオ養殖場)の3編を、昨年同様エンドレスでスクリーンに投影。解像度の関係で画面は小さくなるが、動画でしか得られない臨場感が楽しめる。

会場の様子

 最初は昭和8年8月の「発明家十人会の集い」の記録。これは「交遊録」展でご紹介し、本欄の№115「十人会」でも取り上げたが、登場人物の錚々たる顔ぶれにより再登場。  昭和5年、御木本幸吉は第一回十大発明家のひとりに選ばれ、宮中での賜餐の栄に浴した。これを名誉として同席の発明家と十人会を結成、島津源蔵と幸吉が幹事となって何度か会合を持つことになる。

「発明家十人会」から

 第三回目の会合は昭和8年8月、幸吉がホストとなって伊勢志摩を舞台に行われた。8月5日、一行は山田駅(現伊勢市駅)前の藤屋旅館に集合。まず伊勢神宮内宮を参拝、太々神楽を奉納した後、朝熊登山鉄道を利用して朝熊岳山頂に向かい、旅館「とうふや」に投宿する。途中に幸吉が一行に眼下の風景の説明をしている車中の様子や車両がすれ違う場面などがあり、ケーブルカーの動画としても貴重な記録といえよう。その夜は幸吉の別邸「連珠庵」で歓迎の宴を催したと『伝記』にあるが、残念ながら映像はない。料理は「とうふや」から運ばせたのだろう。  翌日、再びケーブルカーを利用して下山、自動車で剣峠を越えて五ヶ所に入り、湾内の真珠養殖場を見学する。この頃の五ヶ所養殖場は従業員千人、年間施術量は千万個に及ぶ真珠生産の中心だった。場内の迎賓館から眼下に獅子島を眺めた後、船で英虞湾の多徳養殖場に移動、開設したばかりの御木本真珠研究所で、白衣に着替えた幸吉は発明家たちの祝辞を受けた。幸吉は翌年に喜寿を迎える記念に研究所を開き、真珠研究に励むつもりと抱負を述べている。77歳を前にして衰えない意欲はさすがというしかない。その後、鳥羽の真珠ヶ島に移動、島の中央広場の池で魚釣りに興じ、二日間の交流を楽しんだ。

十人会から贈られた 銀の矢立

 参加した発明家は島津源蔵、鈴木梅太郎、丹羽保次郎、本多光太郎、杉本京太、密田良太郎、田熊常吉。山本忠興、蠣崎千晴の二名は欠席したが、いずれも今日まで業績の伝えられる人物ばかりだ。会場ではこの十人会から喜寿の祝いとして贈られた銀製の矢立を展示している。発明家の定紋を陽刻した矢立で、磁石、鍵、それに狸の根付が付いた珍品である。

「真珠供養」から

 次は昭和11年に行われた「真珠供養」の記録。信仰心に篤い御木本幸吉は真珠養殖に用いた真珠貝を慰める供養祭を数度催していて、第一回は明治41年4月8日に志摩の多徳島を舞台として行われた。今回ご覧いただくのは昭和11年11月15日、鳥羽の真珠ヶ島での記録映画。会場となる島の中央に白木造りの祭壇を設置、その裏手にこれまで犠牲となった一億五千万個の貝の代表として150万個のアコヤガイをピラミッド状に積み上げ、高さは5メートルに達したという。この時、参列者の便をはかるため鳥羽町と島の間に仮橋を設置した。小舟を連ねてその上にイカダ用の樽を並べ、それを支えとして架けられた長さ95間(約173m)の浮橋を渡り、導師を務める京都黒谷の法主・郁芳随園大僧正が僧徒27名とともに入場。来賓、鳥羽市民、海女たちと総計一万人に及ぶ参列者の見守る中、読経、焼香、法話と厳かに行われた様子が記録されている。幸吉の手振り身振りを交えた挨拶の後、式場のアコヤガイは五隻の船で鳥羽沖はるかの海中に戻され、供養祭は滞りなく終了。参列者には記念品として東京から取り寄せた木村屋のパンが配られたほか、町内八十歳以上の高齢者には毛布を一枚ずつ贈呈したという。イベントはかくあらねばならぬ、というお手本。  この供養祭の成功を記念して幸吉はパラオと八重山養殖場で採取されたクロチョウガイ真珠の念珠を知恩院に寄贈。知恩院ではこれを「鴬張り」「忘れ傘」とともに三名物のひとつとして重宝する旨の感謝を述べた。この念珠は二連を組み合わせた「日課念珠」と呼ばれ、知恩院で特別な大法要のみに用いる寺宝として伝えられている。クロチョウガイから採取された優雅な銀色の真珠で、今も美しい光沢を保っていると、知恩院おてつぎ運動機関誌『華頂』505号(2009年6月号)にあるが、実見の機会はなさそうだ。

「黒真珠」から

 最後はパラオ養殖場での記録映画「黒真珠」。大正11年7月、御木本はパラオのコロール島海域に養殖場を開設、クロチョウガイによる真珠養殖に着手した。日本から技術者が数度にわたって派遣され、アコヤガイとは違う特性を持つ貝の育成には様々な苦労があったという。昭和15年の奢侈品製造販売禁止令を受けてパラオ養殖場は他の養殖場と共に閉鎖されるが、この映像は同年に完成した貴重な記録で、男性職員による貝の固定台を用いない核入れ手術や金網籠のさび止めにコールタールで染める過程など、現在とは異なる興味深い作業の様子を見ることができる。モノクロながらコントラストの強さで熱帯の空気を感じさせてくれる一編。  以上三編は9月末までの上映で、10月からは後期として戦後の「昭和天皇皇后行幸啓」、「マーフィー大使訪問」、「御歌碑除幕」の三編を予定している。いずれも音声はないので、画面附近に掲出した解説パネルを参照の上でご覧下さい。

(2022年5月25日)

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