4月29日から始まった本年度企画展「平成の美術工芸品 地球儀と夢殿」は、二つの作品を一階の会場に移して、広々とした空間でご覧いただいている。今回は工芸品「地球儀」制作の原点となった御木本幸吉旧蔵の地球儀を30年ぶりに展示した。直径約64cm。表面に剥離が目立つが、100年の歴史を刻んでいる。加えて工芸品制作過程の記録映像、制作に携わった工芸作家6名の方々を紹介、その魅力を多面的に伝えることを狙いとしている。
今回の展示にあたって、「地球儀」で金工の技を奮った井尾建二さんと桂盛仁さんに連絡を取った。70歳代後半のお二人は今や斯界の重鎮といって良く、井尾さんは作家活動と並行して彫金スクールを主宰、後進の指導にあたっている。桂さんは数々の受賞を重ねて平成20年に彫金の重要無形文化財保持者となられた。伊勢神宮式年遷宮の御神宝、春日大社若宮神社の国宝復元模造制作と日本の伝統工芸分野での頂点を極めているといえよう。
だから、その人間国宝の桂さんが今回「ポケモン×工芸」という展覧会に作品を提供していると聞いた時には軽い違和感を覚えた。そもそもポケモンについての関心が薄く、知識がなかったからだが、円熟の域に達した日本屈指の彫金作家がなぜキャラクターものを、という思いが先に立った。
ポケモンの仲間は現在1000種を越えるという。この地方ではバスにピカチュー、電車にミジュマルがラッピングされているし、お菓子とのコラボ、マンホールの蓋など日常で眼にすることが多い。けれど伝統工芸作品のテーマとしてどうなのか、あまりにも距離があるのでは。
金沢の国立工芸館でその展覧会が始まると、メディアでも取り上げられるようになる。Eテレの「日曜美術館」によれば、どうも単純な取合せではない。展覧会図録を取り寄せて一読一驚、これは実際に見なければという気持ちが高まってくる。今回、桂さんが手がけたのはブラッキーという猫に似た生き物で、銅に少量の金を混ぜた、彫金ではお馴染みの赤銅を用いて立ち姿、威嚇、眠りの三つの姿を表現した帯留とブローチだ。
それで休みの一日を金沢に遊んで、国立工芸館で作品を拝見することにした。朝早く当地を出、名古屋から特急しらさぎで3時間弱、乗り換えを含めて合計5時間で昼前に到着する。外国人旅行客の戻りつつある市内を兼六園近くまで行くと国立工芸館の姿が見える。
明治後期に建てられた旧陸軍第九師団司令部の庁舎と親睦互助組織の金沢偕行社の建物を再利用し、日本海側初の国立美術館として2020年に開館。兼六園の南側、本多の森公園内という絶好の立地で、白い壁に窓の縁取りが鮮やかに映える。早速入場。平日なので待ち時間はなく、入場料900円を払って、誘導に従い二階から見る。
今回、出品した工芸作家は20名。金工、木工、陶磁、漆工、ガラス、染織と、技法と素材は様々だが、いずれも題材となったポケモンの姿を単純に写し取ったものではない。アーティストの頭脳で解釈と昇華を加えられた形に変容している。それを本物の素材を用いて一流の技術で表現している。キャラクターを題材にした工芸、という枠組みで作品を予想すると見事に裏切られるだろう。それでいて本来の愛らしさや逞しさは伝わってくるから、アーティストの誰もがキャラクターに惚れ込んでいることがわかる。
桂さんの作品は一階中央のケースにあった。ブラッキーの帯留とブローチに用いられた赤銅は含まれた金の粒子に光が当たることで独特の色を発するが、実際の色調は黒の中から青みを帯びた紫が浮かび上がり、実に美しい。月の光でイーブイの遺伝子が変化して生まれたというブラッキーにふさわしく、眠る姿を光背のように取り巻く黄金の輝きが印象的だ。一方、ルギアとホウオウは香合の蓋に。香りは飛ぶから飛行タイプのポケモンにはぴったり、と図録にある通り、キャラクターと器物の整合性を考えて作られている。桂さんはかなりの時間をポケモン研究に費やされたのだろう(イーブイ、ルギアなどについてはネット上の「ポケモン図鑑」などで確認されたし)。
他の作品について触れる余裕がないが、極小の幾何学文様や数字で全面を加飾した池田晃将の螺鈿細工、自在置物の満田晴穂、華麗な文様をまとった植葉香澄の陶磁など眼を奪われる作品が次々と現れる。
この展覧会は終了後ロサンゼルスでの展示が決まっている。2024年には国内巡回が予定されているというが、待ち遠しいという向きは6月11日までに金沢へ。東京からは新幹線で、関西ならサンダーバードで直通。どちらも3時間。
松月清郎
5月 27日
写真① 国立工芸館
写真② 平日でも賑わう館内
写真③ 写真は撮り放題
写真④ ブラッキーの展示ケース
写真⑤ ブラッキー三態(絵葉書)
写真⑥ カタログとパンフレット
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