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御木本幸吉
鳥羽のうどん屋「阿波幸」の長男として誕生した幸吉は、さまざまな商売を経験するなかで志摩の名産だった真珠の魅力に着目しました。当初は真珠貝の増殖、やがて真珠そのものの養殖へと試行錯誤や失敗を繰り返しながら彼は夢の実現に邁進します。それは自分の作った真珠で世界中の女性を美しく飾ることでした。
銀座に店を構え事業を拡大する一方で、幸吉は故郷伊勢志摩に惜しみない愛情をそそいでいます。事あるたびに幸吉は賓客を志摩の自宅や真珠島に招き、真珠の魅力とともに伊勢志摩の美しい景観を広く紹介しました。日本中を公園にしたい、というその願いは戦後伊勢志摩国立公園として実現します。
日本の真珠産業を築いた人物として、そしてさまざまな逸話に見られる個性豊かな人物として、御木本幸吉の生涯はいつまでも語り継がれることでしょう。
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海女
かつて、海女は真珠の養殖にとってなくてはならない存在でした。
海底に潜ってアコヤ貝を採取し、核入れした貝を再び海底へ。また、赤潮の襲来や台風の時には、貝をいち早く安全な場所に移すなど、海女の活躍がなければ養殖真珠の成功はありえなかったことでしょう。
今は養殖技術が発達し、海女の必要性はなくなりましたが、真珠養殖を支えた海女の活躍を記念するために、真珠島では海女の実演を行っています。昔ながらの白い磯着の海女がみられるのはここ真珠島だけになりました。
※海女の実演時間はこちらをご覧ください
「世界中の女性の首を真珠で
しめてごらんにいれます。」
御木本幸吉
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